「ウィーン世紀末」は
モダン・アートへ続く新たなはじまり
2019年の日本・オーストリア外交樹立150周年を記念した「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」が、2019年4月24日(水)から東京・六本木の国立新美術館で開催! 前日の内覧会に行ってきました。
【イベント概要】「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」2019年8月5日(月)国立新美術館で開催!
グスタフ・クリムトやエゴン・シーレ、オスカー・ココシュカ、そして建築家のオットー・ヴァーグナーなど、19世紀末のウィーンで活躍し、今なお多くの人々を魅了している芸術家の作品が見られます。
さらに「ウィーン世紀末」を19世紀末~20世紀初頭のモダン・アートへと続く “新たなはじまり” ととらえ、その間に活躍した芸術家の作品約400点を展示し、一連の歴史の流れを本物の作品を見ながらたどることができる、とても見ごたえのある、贅沢な展覧会になっています!
ウィーンの至宝が大集結!
クリムトとシーレの絵画の競演!
19世紀末のウィーンには多くの芸術家が集い、たくさんの華麗な作品が生み出されました。そんな「世紀末芸術」を、「ウィーン・ミュージアム」が所蔵する珠玉のコレクションで紹介しています。
目玉となるのは、日本人のファンも多いグスタフ・クリムト(1862年〜1918年)と、クリムトを敬愛しつつも独自の画風を確立した早生の天才エゴン・シーレ(1890年〜1918年)の絵画の展示。
クリムトでは、最愛の女性を描いた「エミーリエ・フレーゲの肖像」をはじめとする47点、シーレは「自画像」「ひまわり」など22点が見られます。
見どころは大きく3つ
本家以上の贅沢な展示内容
ひとつは「絵画」「建築」「工芸」など、ウィーンの造形芸術の魅力や歴史などの全容がわかる総合的な展覧会であること。「世紀末芸術」「世紀末文化」を、その成り立ちから魅力までを存分に紹介している、まさに “ウィーン世紀末美術” を展望する決定版の展覧会となっています。
もうひとつは、傑作や名品が揃った展覧会であること。特に有名な画家は「ウィーン分離派」を代表するグスタフ・クリムト(1862年〜1918年)で、素描もあわせて47点を展示しています。さらにエゴン・シーレ(1890年〜1918年)は22点、オスカー・ココシュカ(1886年〜1918年)は17点を展示しています。
他にも、クリムトに影響を与えた画家ハンス・マカルト(1840年〜1884年)の油彩画、オットー・ヴァーグナー(1841年〜1918年)の建築の素描など、日本でも有名でありながらも、なかなか実際の作品を目にする機会の少ない作家の作品が目白押しです。
最後は400点にもおよぶ圧倒的な展示数。通常の同館での展覧会の2〜3展くらいの分量であるとともに、「ウィーン・ミュージアム」に行っても、これほどの作品を一度に見られる機会はないと言えるくらい、とても贅沢な展覧会になっています。
「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」は2019年8月5日(月)まで国立新美術館で、その後、8月27日(火)〜12月8日(日)に大阪・中之島の国立国際美術館で開催!
展覧会は4つの章で構成
【第1章】
「啓蒙主義時代のウィーン」というテーマで、「ウィーン・モダン」という近代化へのタネが蒔かれた原点を紹介。
ハプスブルグ帝国の女帝マリア・テレジアとその息子で皇帝のヨーゼフ2世は18世紀後半、啓蒙主義思想(17世紀~18世紀のヨーロッパで広まった革新的思想。キリスト教会などの伝統的権威を批判し、理性の啓発によって人間生活の進歩・改善を図った考え)にもとづき大きな改革を行ないました。それは「宗教の容認」「死刑や農奴制の廃止」「病院や孤児院の建設」など、行政や法律、経済、教育において、さまざまな改革を実行しました。
それによりウィーンは自由な精神を持った知識人を魅了し、国境を超えて知識人の集まる国際的な都市へと変貌を遂げていきます。
この啓蒙主義思想から、自由、平等、博愛を理想とする「フリーメイソン」も誕生しました。音楽家のモーツァルトもフリーメイソンのメンバーで、オペラの「魔笛」はその世界観を体現したものと言われています。
【第2章】
「ビーダーマイアー時代のウィーン」というタイトルで、19世紀前半の政治状況やデザイン、絵画などを紹介。
この時代の重要な出来事は、ナポレオン戦争終結後に行なわれた、各国の代表が集まった「ウィーン会議」。これにより、ヨーロッパの地図が再編されます。
この「ウィーン会議」から1848年に革命が勃発するまでのウィーンの芸術様式が「ビーダーマイアー」と呼ばれています。新しく出現した都市の富裕層のために生み出された様式であったため、家具も工芸品も極端なまでに装飾が排除され、均衡の取れたプロポーション、素材の美しさが特徴。20世紀のモダンデザインに通じるシンプルなものでした。
政治的抑圧がとても強く、検閲もあった時代のため、人々の関心はプライベートな領域、室内空間に向けられました。そのため絵画は都市の日常生活や農村風景というものがよく描かれました。
この「ビーダーマイアー」時代の芸術は、のちの1900年頃の世紀末の芸術家たちが参照する、とても重要な芸術運動になりました。ウィーンの分離派の画家たちにも影響を与えました。
【第3章】
「リンク通りとウィーン」というタイトルで、近代都市へと変貌していく都市改造の時代を紹介。
1857年には皇帝フランツ・ヨーゼフ1世がウィーンの都市を囲んでいた中世の古い城壁を取り壊し、近代都市の大動脈となるリンク通りを開通。沿道には国会議事堂や市庁舎、ウィーン大学など、帝国の要となる建築物が次々と建設されました。
ウィーンのシンボルとなったリンク通りでは1879年にフランツ・ヨーゼフ1世とエリーザベト皇帝夫妻の銀婚式を記念する盛大な祝賀パレードが開催されました。画家のハンス・マカルトは、このパレードの芸術監督を任されています。ハンス・マカルトの美しい油彩画は見どころです。
1873年には「ウィーン万博」が開催。日本は国家として初めて万博に参加しました。この時に展示した日本の工芸品はヨーロッパの美術に多大な影響を与えました。
【第4章】
第4章はこの展覧会のメイン。「1900年 ー 世紀末のウィーン」と題して、世紀末芸術を展示しています。
新しい建築を模索した建築家 オットー・ヴァーグナーがウィーンの都市デザインプロジェクトを数多く提案した様子を展示しています。ヴァーグナーは日本でもよく知られている人気の建築家ですが、デッサンや作品を見る機会は少なく、大変貴重な機会となっています。
また絵画では、1897年にグスタク・クリムトが若い画家たちとともにウィーン分離派を結成。さらに1903年には工芸美術学校出身のヨーゼフ・ホフマンやコロマン・モーザーらによって総合芸術をめざした「ウィーン工房」が設立されました。世紀末ウィーンの豪華絢爛な芸術文化が、ここに花開きます。
ウィーン分離派やウィーン工房の重要なパトロンはユダヤ人の富裕層でした。それが芸術家たちの実験的な精神、妥協のない創作活動をおしあと押しし、この時代の数々の傑作を生み出したのです。
【イベント概要】「ウィーン・モダン クリムト、シーレ 世紀末への道」2019年8月5日(月)国立新美術館で開催!
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