特別展古代メキシコ マヤアステカテオティワカン体験レポート

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」体験レポートの写真

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」が2023年6月16日(金)から東京国立博物館で開催! メソアメリカ文明のうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」の3つの文明に焦点をあて、メキシコを代表する作品を一堂に紹介!

古代メキシコの至宝約140件が集結!
古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫る!

古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫る特別展「古代メキシコ ーマヤ、アステカ、テオティワカン」が、2023年6月16日(金)〜9月3日(日)東京国立博物館で開催! 開催前日に行われた内覧会に行ってきました!

【イベント紹介】特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」




手塚治虫先生が1974年〜1978年に描いた『三つ目がとおる』というミステリーテイストのSF漫画があります。古代文明を築いた “三つ目族” の末裔で不思議な力を持つ少年(写楽保介)が古代史にまつわる難事件に立ち向かうお話で、小学生の頃から今なお大好きな漫画のひとつです。

日本をはじめ世界の古代遺跡が舞台となり、その中には今回の特別展「古代メキシコ」で取り上げているマヤやテオティワカンも出てきます。写楽が能力を発揮するときに使う文字や設計図もマヤ文字やマヤ文明の壁画にそっくりで、古代文明に対する手塚先生流の考察や想像が盛り込まれていますが、漫画に描かれていたものが目の前に広がる様は、とてもワクワクしました。

特別展「古代メキシコ」では、「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、メキシコ国内の主要博物館から厳選した古代メキシコの至宝約140件を、近年の発掘調査の成果を交えて紹介しています。

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テオティワカン最大のモニュメント「太陽のピラミッド」(後方の写真)は、200年ごろに日没の方向に向けて建てられた。初期は底面約216メートル四方、高さ64メートルあり、のちに増築されている。内部はほぼ盗掘されていたが、マスクや鏡、黒曜石のナイフ、幼児の生贄体などが発見されている。また地下6.5メートルほどのところに100メートルほどの水平のトンネルも見つかっている。最奥の部屋は王墓であった可能性が高い

「太陽」「月」「羽毛の蛇」
三大ピラミッドを擁する古代都市

テオティワカンはメキシコシティから車で1時間くらいのところにあるアメリカ大陸で最大規模の遺跡公園で、年間200〜300万人が訪れる世界的に有名な観光地。

「死者の大通り」の両脇に「太陽のピラミッド」「月のピラミッド」「羽毛の蛇ピラミッド」が並び、紀元後200年〜600年くらいまで栄えた、世界的に見ても6番目くらいに位置する大きな古代都市でした。

150年ほどにわたって何度も発掘調査が行われ、多くの出土品があるものの、絵文字があったことは確認されていますが解読はできておらず、文字も、言語も、民族もわかっていない非常に謎の多い古代都市です。

見どころは「羽毛の蛇ピラミッド」の四方の壁面を飾っていた大きな石彫「シパクトリ神の頭飾り石彫」と「羽毛の蛇神石彫」の展示。「羽毛の蛇ピラミッド」はテオティワカンの国家、王権を示すもっとも重要なピラミッドのひとつで、内部からは200体以上の生贄が、多くの副葬品とともに発見されました。さらに「羽毛の蛇ピラミッド」の下にはトンネルがあり、そこからはテオティワカン国家を支えていた人たちの財宝が出土。同展では、その中から貴重なものを展示しています。

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中心的な神殿となる「羽毛の蛇ピラミッド」。その壁面には権力を象徴する「羽毛の蛇神石彫」と、時(暦)のはじまりを表す「シパクトリ神の頭飾り石彫」で覆われている。ピラミッド内部からは200体以上の戦士の集団生贄が発見されている。2003年には地下トンネルも発見。すでに盗掘されていたが、最奥部には応募があった可能性が高い

マヤの「赤の女王」が初来日!
マヤ芸術最高峰「96文字の石板」も!

マヤ文明というとジャングルの中にある “神秘の文明” というイメージがありますが、近年では考古学や科学的な分析、文字の解読も進みマヤ文明の実態がわかるようになってきたそう。この展覧会では、その研究の発展の様子を見ることができます。

もっとも多くの作品を展示しているのもこのマヤ文明で、マヤを代表する都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王の妃と言われている「赤の女王(スペイン語で「レイナ・ロハ」)」のマスクや冠、首飾りなどの墓からの出土品は、メキシコ国内とアメリカ以外では初公開!

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パレンケは古典期マヤの都市としては中規模だが、洗練された彫刻や建築、碑文の多さで知られる。その最盛期は615〜683年のキニチ・ハナーブ・パカル王の治世のころ。写真は「パカル王とみられる男性頭像(複製)」(マヤ文明 620〜683年)

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パカル王墓の隣に「赤の女王(レイナ・ロハ)」と呼ばれる墓が見つかり、王妃の墓ではないかという説が強くなっている。赤の女王の王墓を模した展示空間にはマスク、冠、首飾り(いずれもマヤ文明 7世紀後半)などの装飾品が展示

パレンケは芸術の都としても知られ、パレンケ遺跡から出土した美しい石彫と優れた碑文は有名。その中でもおすすめなのが「96文字の石板」。マヤ芸術の中でも最高峰と言われ、美しい線と調和された形に注目。内容は、ハレンケの歴代の王様の即位の様子が、正確な日付とともに書かれている。

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マヤ芸術の中でも最高峰と言われる、パレンケ遺跡から出土した「96文字の石板」(マヤ文明 783年)。キニチ・クック・バフラムの即位20周年に彫られた碑文。西暦654年にパカル王が建てた宮殿の近くで見つかり、歴代の王の即位が記されている

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碑文はただ情報を伝えるだけでなく、文字自体が美術としても尊ばれていた。日本の書道と通じるものがある。マヤ文字の流れるような線から、日本と同様、本来は紙に書くものであったことがわかる

パレンケなどの主要な都市は7〜8世紀に発展し、それがマヤ文明の最盛期。その後は多くの都市が放棄されました。しかし、パレンケが放棄された後にマヤの中心はジャングルから北のユカタン半島へと移り、メキシコ中央部やメソアメリカのいろいろな地域と交流しユニークな文化形態を発展させたチチェン・イツァが国際都市となります。

「10世紀以降になるとチチェン・イツァも衰退しますが、その後もマヤ文明は続きますがスペイン人に征服され、辛い苦しい歴史が続きます。しかしいまでも文化を守りつつ、新しい伝統を築いています。マヤ文明は滅びた文明ではなく、現在まで続く文化伝統なのです」と、アリゾナ大学 猪俣健教授。

今なお謎に包まれている文明ですが、文字の解読や出土品などから解明されてこともあり、1000年以上も前の人々の神や自然への祈り、日々の営み、そしてそこから生み出された独自の世界観や造形美を通して、古代メキシコの奥深さを体験できます。

子どもの頃に漫画『三つ目がとおる』に魅了されたのは、謎を解き明かしていくワクワク感はもちろん、古代メキシコ文明の遺物のデザインに寄るところが大きかったと感じています。神秘的で少し怖いけれど、どことなくユニークで可愛らしく見えるものも多い。特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」は、子どもも楽しめる展覧会かなと感じました。

特別展「古代メキシコ ―マヤ、アステカ、テオティワカン」は、2023年6月16日(金)〜9月3日(日)まで東京国立博物館で開催!

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「太陽のピラミッド」の写真の前に置かれているのは「火の老神石彫」(テオティワカン文明 450〜550年)。「太陽のピラミッド」頂上部から2012年に出土した。火に関わる儀式に使われたと考えられている

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テオティワカン遺跡にある「太陽のピラミッド」正面の「太陽の広場」から1964年に出土した「死のディスク石彫」(テオティワカン文明 300〜550年)。舌を出す頭蓋骨の周囲には放射状のモチーフがあり、考古学のデータから「太陽のピラミッド」は光、熱、火の源である太陽を象徴すると考えられ、「死のディスク石彫」は地平線に沈んだ(死んだ)夜の太陽を表している解釈される。先住民の世界観では、西に沈んだ太陽は水の地下界をさまよい、夜明けとともに東から再生すると信じられていた

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「太陽のピラミッド」の中心部分から出土した「マスク」(テオティワカン文明 150〜250年)。地下に存在したであろう王墓に捧げられた奉納品ではないかと考えられている。テオティワカンで現在確認されている最古のマスク

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「死者の大通り」上にある「月のピラミッド」。その頂上は背後にそびえる聖なる山の頂上と重なるように設計された。近年、大型の水路跡が広場の床下に発見され、メソアメリカ最大級の大石彫「水の女神」も西側面から出土しており、水に関わる大規模な儀式空間と考えられる。また、出土品から、豊穣、大地、女性、雨季、そしておそらく月を象徴していたと考えられる

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「月のピラミッド」中心部で発見された埋葬墓3の主要な副葬品のひとつ「小座像」(テオティワカン文明 250〜300年)。あぐらは高貴な人物にのみ許されたことから、生贄に関わる王族を示すものか

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「月のピラミッド」の埋葬墓2から出土した「耳飾りを着けた女性立像」(テオティワカン文明 200〜250年)。埋葬墓2からは両手を後ろで縛られた生贄と、ピューマやオオカミ、ヘビやワシなどの動物、さまざまな副葬品も出土している

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「月のピラミッド」の埋葬墓6から出土した「モザイク立像」(テオティワカン文明 200〜250年)。小石や貝殻、黄鉄鉱を木製の人形土台の上に貼り付けて磨いている。テオティワカンでは稀なモザイク石像

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時(暦)のはじまりを象徴する創造神「シパクトリ神」をかたどった頭飾り「シパクトリ神の頭飾り石彫」(テオティワカン文明 200〜250年)

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金星と権力を象徴である「羽毛の蛇神」をかたどった「羽毛の蛇神石彫」(テオティワカン文明 200〜250年)。「羽毛の蛇神」は、天上界を治める太陽を、明けの明星として導く金星のシンボルであり、地上界においては、民を治める聖なる王権の象徴とされる。「羽毛の蛇神」により授与される戴冠式を表すモニュメント

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「羽毛の蛇ピラミッド」の地下トンネルから出土した4体の石像のうちの1体「立像」(テオティワカン文明 200〜250年)。スカート姿の女性を表している

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「羽毛の蛇ピラミッド」の地下トンネルから出土した4体の石像のうちの1体「立像」(テオティワカン文明 200〜250年)。荷物を背負う男性を表している。立像が置かれていた王墓があったとされるトンネル最奥部はほとんど完全に盗掘されており、立像の意味は不明

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「羽毛の蛇ピラミッド」の地下トンネルの断面イラスト。地下トンネルは2003年に偶然発見された。内部は盗掘され、本来の機能は不明だが、最奥部には王墓があった可能性が高い

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「羽毛の蛇ピラミッド」の地下トンネルから出土した「嵐の神土器」(テオティワカン文明 150〜250年)。農業にとって重要な雨の神である「嵐の神」の姿をした水差し容器。テオティワカンでもっとも重要な神のひとつであり、およそ1000年後に栄えたアステカ時代には雨の神トラロクとして継承されている

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テオティワカンは約10万人の住民が密集した都市空間だった。住居は石造建築で、多くの部屋は壁画で飾られていた。多彩色の壁画はテオティワカンの特徴。写真は「嵐の神の壁画」(テオティワカン文明 350〜550年)。左手には香袋、右手にはトウモロコシを持ち、それを人々に与えている雨神、あるいはトウモロコシの儀礼場面の描写と考えられる。口からは言葉、歌、または儀礼の呪文を発していると思われる

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「嵐の神の屋根飾り」(テオティワカン文明 250〜550年)。テオティワカンのほとんどの住民はアパートメント式住居施設に住んでいた。頭飾りを被り、両手をかざした嵐の神を表し、雨に関わる信仰に寄与していた

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くびれた胴部をもつ本体と、装飾片で覆われた蓋からなる土製の「香炉」(テオティワカン文明 350〜550年)。住居での発見例が多く、親族やコミュニティーのリーダー、または先祖、神を崇拝する儀式用具と考えられる

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壁画が豊富な住居内の埋葬体から副葬品として出土した「三足土器」(テオティワカン文明 450〜550年)。典型的なテオティワカンの三足土器で、古代国家の最大の関心事である生贄儀礼の様子が描かれている。高位の神官もしくは戦士が左手に槍、右手には心臓が突き刺さったナイフを握っている

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“神秘の文明” “滅びた文明” というイメージがある「マヤ文明」。しかしこの特別展で、そのイメージは変わるかもしれない。王、あるいはそれに次ぐ高位の男性を表した土偶「支配者層の土偶」(マヤ文明 600〜950年)

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マヤの人々にとって人生や社会の出来事は、神々の行いや天体、山、洞窟などの自然界の事象と深くつながっていた。そのため天体の動きを観察し、それにもとづいた暦をつくり、集団祭祀や儀礼を行うことは世の中の秩序を維持するのに必要なことと考えられていた。金星の周期が584日であることも正確に記録されている。写真は「星の記号の土器」(マヤ文明 700〜830年)。太陽と月と並ぶ重要な星として金星を崇め観察していて、土器中央の十字形と4つの円からなる黒い記号が金星ないし星を表す

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「金星周期と太陽暦を表す石彫」(マヤ文明 800〜1000年)。マヤ北部の国際都市チチェン・イツァの「金星の基壇」と呼ばれる建物を飾っていた彫刻。左側が金星、右側太陽暦の年を表し、584日の金星の周期5回分が、365日の太陽暦の8年にあたることが示されていると考えられる

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マヤ北部の国際都市「チチェン・イツァのアトランティス像」(マヤ文明 900〜1100年)。一般にアトランティス像は王座の下に複数置かれ、両手で王座と王を支える人を表す。チチェン・イツァでは身なりが異なる複数の像があり、宮廷のさまざまな人物を表していると見られている

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「チャクモール像」(マヤ文明 900〜1100年)。「チャクモール」とは現代の研究者が付けた名称で、古代の名前をはじめ、用法や意味もわかっていない。お腹の上にお皿を持っていることから、そこに神への捧げ物を置いていたという解釈が一般的。人身供犠の犠牲者から取り出された心臓を置くこともあったと考えられている

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「鷲の戦士像」(アステカ文明 1469〜86年)。戦闘や宗教に重要な役割を担った勇敢な軍人である鷲の戦士とみられる像。勇ましく戦死して姿を変えた戦士の魂や、太陽神の姿を表すという説もある

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「トラルテクトリ神のレリーフ」(アステカ文明 1325〜1521年)。大地の主という生の側面と、戦争や人身供犠という死の側面をもつ神。カールした頭髪と手足に鋭い爪を持ち、歯を剥き出しにした口元からは火打ち石のナイフを突き出す

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「トラクロ神の壺」(アステカ文明 1440〜69年)。農耕社会のメソアメリカの宗教では、降雨をコントロールするために何世紀にもわたって祈祷、供物、子どもの生贄などがトラクロ(大地を人格化した雨の神)に捧げられていた。トラクロは「与える者」とも呼ばれ、植物の発芽に必要なすべてを提供した



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